子供時代

 
「紀子、背中に乗ってくれ」がっちりした父の背中の上をよく歩いていましたね。

「うっ、うっ、きく~~~」私の体重が重くなってからは、父の足の裏をかかとでグイグイ踏んだり、もぐさを三角錐に固めて、父の首の付け根に乗せ線香で火を点けていました。

「あ、熱い!もう少し、ちいさなもぐさにしてくれ」と父はよく言っていました。

中学に入り、母と一緒に自転車で足の悪い祖父の家に入浴介助のために月に数回行っていました。

「紀子が来てくれて、ちさ子(母)一人だと危なかったけど、安心してゆっくり入れるよ」

母も「紀子が手伝ってくれて、私の体も楽だわ、ありがとう」

二人はとても喜んでくれました。
 

結婚時代

 
主人の両親、祖母と同居生活でした。

じいちゃんは生まれつき、耳が聞こえないので話すことができません。

兼業農家でしたので、私も畑仕事を手伝っていました。

畑の端から端までひもで線を引いたり、シートを被せたりする作業は一人だととても大変ですが、2人だと随分楽になり、作業時間も短縮できます。

『じいちゃんは私にどう動いて欲しいのか?』じいちゃんの思いに応えるように、じいちゃんの身振り手振りをしっかり観察し、『もっと右に動くのね、もっと引っ張るのね、木つちが欲しいのね』お互いに両手で大きな丸を作って作業終了です。
 

東京に出て来て

 
東日本大震災後の4月、二人の娘が成人したのを機に離婚して心機一転、単身東京にきました。

家の近くにあるりらくるのセラピスト募集のチラシにつられ「私にもできるかな、疲れている人の少しでも役に立ちたい」という気持ちでセラピストを始めました。

始めてみて直ぐに、私の押し方ひとつで、その人を良くもできるし、悪くもなるのだと痛感し、人の体に触れる仕事は生半可な気持ちでやってはいけないと気を引き締めました。

月に一度、両手に大きな買い物袋を抱えて来る小柄なおばさんがいました。

「45分だけど、全身楽になるかなぁ」おばさんの体を壊さないようにと力加減に気を付けてもみほぐします。

「あ~~、気持ち良かった、体が楽になったよ」と笑顔で言ってくださいますが、姿勢は変わらず悪いままです。

このころ姿勢を整えないと疲れは繰り返し生じ、根本的な解決にはなっていないと思い始めていました。
 

治療家としての思い

 
「根本的に身体を良くする方法はないものか」と探し始め、背骨ゆらしに出会いました。

体の中心軸である背骨の関節機能を正常に戻すことで、過度の緊張を強いられている部位の筋肉や関節の動きを正常にもどすという施術です。

多くの方は施術後筋肉の緊張は徐々にほぐれていき、関節の動きも滑らかになっていき、腰痛・肩こりなど痛みを取り除き、また姿勢指導も行い立ち姿は整っていきました。

ところが、「先生~~、また股関節、ひざが痛くなったよ」と、ちょっとがに股の方が2週間に一度来られます。

『どうして繰り返すのだろう?何か特別な動きをしましたか?』普通の生活をしていただけなのに、痛みが繰り返されるということは日常生活の中に痛みの原因がある。それを改善しないと根本治療とは言えない!

日常生活で一番の動きと言えば、『歩く』ことでしょうか
 

指導家としての思い

 
『歩く』ことを改善することで痛みの根本治癒を思い、施術方法を探し始め、中島先生の「ゆるかかと歩き」に出会いました。

その歩き方を患者さんに指導したところ「外反母趾の足が痛くない!」私自身もすぐにゆるかかと歩きを実践してみたところ、「足が軽い!」こんなに軽く足に負担なく歩けるんだ、目からうろこです。
今まで自分が正しいと思っていた歩き方は何だったんだろう、立ち方よりも歩き方が重要なんだ!直ぐに中島先生のセミナーに申し込みました。

 

お散歩されている方を見かけては

あの歩き方だと膝をいためるだろうな

あの歩き方だと外反母趾が痛いだろうな

あの歩き方だと股間節が痛くなるだろうな

多くの人にこの「ゆるかかを歩き」をお伝えしたいです。

世の中に広めたい。

脚の痛みから解放してあげたい。

という強い思いで今活動しています。